銀河鉄道の夜 〜ジョバンニのカムパネルラへの依存〜

最近、「銀河鉄道の父」という映画の予告を見たので、この映画を思い出した。

杉井ギサブロー監督の、登場人物が擬人化している二足歩行の猫になっているアニメ映画。

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青い猫がジョバンニ、赤い猫がカムパネルラ。

 

【ざっくりとしたあらすじ】

主人公ジョバンニは、学校ではいじめられ、仕事場からも孤立しており、お母さんは病気で、仲の良いカムパネルラとはあまり話さなくなっていた。それにいじめっ子のザネリたちがラッコの上着が来るよと囃し立てていて、さらに孤立感を覚えている。

星祭りを見ていた最中、逃げ出したくなったジョバンニは、町から遠く離れた森へ行き、そこで学校で話されていた天の川を見つける。天の川をぼーっと見ていると、列車がやってきた。乗り込んだジョバンニ、すると向かいにいつのまにかあのカムパネルラがいた。二人は列車の中で様々な乗客に出会いながら旅をしていく。

 

賛美歌が聞こえたり、十字のお墓のようなものがあったりすることから死後の世界に向かっていることがだんだんわかってくる。

 

【以下感想。腐女子なのでそれなりにフィルターがかかってます。】

 

ジョバンニてカムパネルラのことかなり好きだよなと思う。友達がいないからより依存しやすいのか。わかる。ジョバンニてカムパネルラといる時本当に幸せそうですごいはしゃいでるの。

ずっと疎遠で、周りとの関係性から二人で話せなかったけど二人きりになってやっと話せるようになった時のあの喜びようめちゃくちゃ心にくる。あんなにはしゃいでさ…ほんとピュア。ずっと一緒だねとかさピュアすぎて心が辛い。尊い。あの子供の頃のこういうセリフって大人だとなかなか言えないし言えたとしても心のどこかで冷めてる自分がいるし、本心のまま言えるのって子供の間だけなんだよね。

鷺取りのおっさんが消えた時、

「僕あの人ともっと話をしたかった、邪魔だと思っていたけれどだから話をしたかった。」

ってセリフとか人間不信に陥っていて、嫉妬っぽいよな。

あと女の子とカムパネルラが仲良く話していた時、ジョバンニは疎外感に陥って、何度も何度も気づいて欲しくてカムパネルラの方を不安で見ちゃうとかさ、見ててあるあるすぎてこっちがハラハラする。コミュ障あるある。それで何かあるごとに

「一緒に旅しようね」

乗客がいなくなったら

「僕たちまた二人きりになったね。どこまでもどこまでも一緒に行こう」

縋り付くように「お願いだから」かなりカムパネルラに依存している。というか原作読んだら女の子とカムパネルラが楽しそうに話してるところがっつり嫉妬したし私のフィルターは正常だった。涙を浮かべてたし、

(カムパネルラなんかあんまりひどい、僕と一緒に汽車に乗っていながら、まるであんな女の子とばかり話しているんだもの。僕は本当に辛い。)

と心のセリフがあった(乙女…)。

だけどカムパネルラはジョバンニへの同情で一緒に銀河鉄道に乗ったわけじゃないと思いたい。それだったらジョバンニがあんまりにも哀れだ。ジョバンニと一緒に居たかったから、こうして降りるのを先延ばしにしながら旅を二人で楽しんでいたんじゃなかろうか。


銀河鉄道の夜はジョバンニがカムパネルラ離れする話だったのかな。ジョバンニはカムパネルラが死んだことでクラスメートと話題ができて普通に話せるようになってた。カムパネルラが死ぬことでジョバンニが幸福に生きられるようになったのだ。

 

(余談だけど純文学ってすごいやおいって感じしやすい。やおいじゃん?思春期特有の恋愛感情と友情のごった煮じゃん?ジョバンニが所有愛とか独占欲に近い愛で、カムパネルラが博愛に近い愛だよな。恐るべし宮沢賢治…。)

 

「ぼくはもう、遠くへいってしまいたい。

みんなからはなれてどこまでも

いってしまいたい。

もしカンパネルラが、ぼくといっしょに来てくれたなら、

そして二人で、野原やさまざま家をスケッチしながら、

どこまでも、どこまでもいくのなら、

どんなにいいだろう。

カンパネルラは決してぼくを怒っていないのだ。

そしてぼくは、どんなに友だちがほしいだろう。

ぼくはもう、カンパネルラが、ほんとうに

ぼくの友だちになって、決してうそをつかないなら

ぼくは命でもやっていい。

けれどもそう言おうと思っても、

いまはぼくは、

カンパネルラに言えなくなってしまった。

一緒に遊ぶひまだってないんだ。

ぼくはもう、空の遠くの遠くの方へ、

たった一人で飛んで行ってしまいたい。」

 

銀河鉄道の夜は4回ぐらい書き直したもので、これは3回目に書いたけど清書でごっそり落としたものである。これって…これが友情なのか?そして「カムパネルラがうそをつかないのなら」って気になる。他の人に目移りするな、友達は僕だけと言っておくれ、そんな独占欲に見える。

子供の頃に誰もが経験する「ずっとこの子と一緒に遊ぶんだ」という友情の高ぶりをいつまでも抱えている。すれてなくて関係の間合いが詰められない、それだけに愛情が相手にだけ注がれて執着とか嫉妬とか毒々しいものに腐っていくのだろう。

でもカムパネルラに言えなくなったというのは、ジョバンニが自分の感情の重さを自覚してるってことだよね。切ない…。それで4回目でこのジョバンニの逡巡さえごっそりと削ってしまう。正直ここの激重描写欲しかったな…。ここの削った描写からジョバンニのカムパネルラへの感情をどういう方向性に考えていたのかがより明確に分かってないよかった。3回目でこれなら2回目、最初の時点での「銀河鉄道の夜」はどうだったのだろうととても気になった。